「人生観の変わる出会い」【知見メール200号】

人生観の変わる出会い

 

皆様、ジェイックの知見寺(ちけんじ)でございます。

 

 

 

 

前号にて、

「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる 100の言葉」

 

をご紹介しました。

 

 

この記事を読まれた方から、

アドラーであればお薦めの本がありますと

ご連絡をいただきました。

 

それも、3人の方から同じ本をご紹介いただきました。

 

 

その本は、

 

「嫌われる勇気」

岸見一郎 古賀史健著 ダイヤモンド社刊 1,500円+税

 

です。

 

ベストセラーのランキングに載っていたので、

本の存在は知っていたのですが、

タイトルがちょっと好みではなく、

手を伸ばさずにいました。

 

しかし、お薦めいただきましたので、

個人の好みは無視して、

5月の役員会で東京に戻ったときに、

神保町の三省堂で購入しました。

 

広いスペースで平積みされていましたので、

今でも売れていることが分かりました。

 

著者のおひとり、岸見氏は

日本におけるアドラー心理学の第一人者

(日本アドラー心理学会顧問)で、

アドラーの著作も多数翻訳しています。

 

また、本書をライティングした古賀氏は、

ギリシア哲学の古典的手法である

対話篇形式の文章でアドラーの思想を解き明かしていきます。

 

対話形式の文章を読むことは余りありませんが、

読み易いですし、理解しやすい気がします。

 

私の心に残ったところを抜粋して、以下ご紹介いたします。

 

P208より

 

――――――――――――――――――――――――――――――

ここに存在しているだけで、価値がある

 

(中略)

 

青年 誰かの役に立ててこそ、自らの価値を実感できる。

逆にいうと、他者に役立てない人間に価値はない。

そうおっしゃっているのですよね?

突き詰めるとそれは、生まれて間もない赤ん坊、

そして寝たきりになった老人や病人たちは、

生きる価値すらないことになってしまう。

 

なぜか?

わたしの祖父についてお話ししましょう。

祖父は現在、施設に入って寝たきりの生活を送っています。

認知症のおかげで子や孫の顔もわからないし、

とても介護なしでは生きていけない状態です。

どう考えたところで、誰かの役に立っているとは思えません。

 

わかりますか先生!

あなたの議論は、わたしの祖父に

「お前のような人間には生きる資格がない」

と言っているのと同じなのです!

 

 

哲人 明確に否定します。

 

 

青年 どう否定するのです?

 

 

哲人 わたしが勇気づけの概念について説明すると、

「うちの子は朝から晩まで悪いことばかりして

『ありがとう』や『おかげで助かった』と

声をかける場面がありません」

と反論される親御さんがいます。

おそらくあなたがおっしゃる話も、同じ文脈ですよね?

 

 

青年 そうですよ。さあ、先生の弁明をお聞かせください!

 

 

哲人 あなたはいま、他者のことを

「行為」のレベルで見ています。

つまり、その人が「なにをしたか」という次元です。

たしかにその観点から考えると、

寝たきりのご老人は周囲に世話をかけるだけで、

なんの役にも立っていないように映るかもしれません。

 

そこで他者のことを「行為」のレベルではなく、

「存在」のレベルで見ていきましょう。

他者が「なにをしたか」で判断せず、

そこに存在していること、

それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。

 

 

青年 存在に声をかける?

いったいなんのお話しですか?

 

 

哲人 存在のレベルで考えるなら、

われわれは「ここに存在している」というだけで、

すでに他者の役に立っているのだし、価値がある。

これは疑いようのない事実です。

 

 

青年 いやいや、ご冗談もほどほどにしていただきたいですね!

「ここに存在している」だけで

誰かの役に立っているとは、いったいどこの新興宗教ですか!

 

 

哲人 たとえば、あなたのお母さまが

交通事故に遭われたとしましょう。

意識不明の重体で、命さえ危ぶまれる状態だと。

このとき、あなたはお母さまが

「なにをしたか」など考えません。

生きていただけで嬉しい、

今日の命がつながってくれただけで嬉しい、

と感じるはずです。

 

 

青年 も、もちろんですとも!

 

 

哲人 存在のレベルに感謝するとは、そういうことです。

危篤状態のお母さまは、たとえ行為として

できることがなかろうと、生きているということそれだけで、

あなたやご家族の心を支え、役に立っている。

 

同じことは、あなた自身にもいえます。

もしもあなたが命の危険にさらされ、

かろうじて命をつなぎとめたとき、

周りの人々は「あなたが存在していること」自体に

大きな喜びを感じるでしょう。

 

直接的な行為など求めず、ただ無事に、

いまここに存在してくれるだけでありがたい、と。

少なくとも、そう考えてはいけない理由はありません。

 

自分のことを「行為」のレベルで考えず、

まずは「存在」のレベルで受け入れていくのです。

 

 

青年 それは極限状態での話であって、日常は違います!

 

 

哲人 いえ、同じです。

 

 

青年 どこが同じなものですか。

もっと日常的な事例を挙げてみてください!

でなければ納得できません!

 

 

哲人 わかりました。

われわれは他者を見るとき、ともすれば

「自分にとっての理想像」を勝手にこしらえ、

そこから引き算するように評価してしまうものです。

 

たとえば、親のいうことにはいっさい口答えせず、

勉強もスポーツも真面目にこなして、

いい大学に進んで、大きな会社に入る。

そんな-ありもしない-理想の子ども像と引き比べて、

わが子にあれこれ不平不満を抱いてしまう。

理想像としての100点から、徐々に減点する。

これはまさしく「評価」の発想です。

 

そうではなく、ありのままのわが子を誰とも比べることなく、

ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。

理想像から減点するのではなく、

ゼロの地点から出発する。

そうすれば「存在」そのものに

声をかけることができるはずです。

 

 

青年 ふん、そんなものは理想論ですね。

じゃあ先生は、学校にも行かず、就職するでもなく、

鬱々と家に引きこもっているような子どもに対しても、

「ありがとう」と感謝の言葉を口にせよというのですか?

 

 

哲人 もちろんです。

たとえば、引きこもっている子どもが、

食事の後に洗いものを手伝っていたとします。

このとき

「そんなことはいいから、学校に行きなさい」

といってしまうのは、理想の子ども像から

引き算している親の言葉です。

そんなことをしていたら、

ますます子どもの勇気をくじく結果になるでしょう。

 

しかし、素直に「ありがとう」と

声をかけることができれば、

子どもは自らの価値を実感し、

新しい一歩を踏み出すかもしれません。

 

 

青年 ええい、偽善だ偽善だ!

そんなもの、偽善者のたわごとでしかありません!

先生のいっていることは、

すべてキリスト教の語る「隣人愛」みたいなものです。

共同体感覚だの、横の関係だの、存在への感謝だの。

いったい誰に、そんなことができますか!

 

 

哲人 まさに共同体感覚の問題について、

アドラー本人に向かって同じような質問をした人がいました。

このときのアドラーの答えはこうです。

「誰かが始めなければならない。

他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。

わたしの助言はこうだ。

あなたが始めるべきだ。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。

私の助言もまったく同じになります。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

この章のタイトル

「存在するだけで、価値がある」は、

私があるときに、気付いたフレーズでもあります。

 

高校2年生の時に、国語の課題で、

題材を自由に選んで書く論文がありました。

 

「原辰徳は、巨人の4番に相応しいのか?」

というタイトルで書いたら、

国語の先生から、真面目に書くようにと、

書き直しを命じられました。

野球少年の私としては、至極真面目に書いたのですが、

仕方がないので再度書きました。

 

次のタイトルは、

「なぜ、私はこの世に存在するのか?」でした。

 

人間という種の存続のためであれば、

私一人が存在しなくても問題ありません。

論文の結論は、「わからない」でした。

 

すると、今度は担任から呼び出されて、

何か悩んでいるのか?と聞かれましたが、

単に頭の中にあることを書いただけだったのですが・・・。

 

大学を卒業しても、

「なぜ、私はこの世に存在するのか?」

の答えは分からないままでした。

 

 

しかし、ある本をきっかけにその答えが見つかったのです。

 

就職して1年目23歳のときのことです。

会社の同期と飲んでいるとき、

これまで自分が読んだ本の中で

最も良かった本の紹介をしあいました。

 

熊本大学の院の哲学科を卒業したT君が、

ブルーバックスの「不確定性原理」を教えてくれました。

 

「不確定性原理」という単語は

聞いたことがなかったのですが、

T君の説明からこの本にものすごく興味を惹かれました。

 

すぐに購入して、読みました。

 

読んでいる途中で、

「この世に存在するものは、全て磁場をゆがませている。

私も磁場をゆがませている。

私は、磁場をゆがませる存在なんだ。

それだけのエネルギーがあるんだ。」

 

と私は理解しました。

 

 

そして、

「私は、存在するだけで価値があるんだ!」

と迷いなく感じられ、

憑き物が落ちたようにスッキリとして、

これまでのもやもやが晴れ晴れとしました。

 

ですから、この気づきがあったときの瞬間、

土曜日の深夜3時のことを今でも覚えています。

 

 

この話をすると、理解できるようなできないようなと、

仰る方が多いのですが、物理を学んで、

人間観が変わるって面白いですねとよく言われます。

 

 

今回、ご紹介した2冊の書籍です。

 

「嫌われる勇気」 岸見一郎 古賀史健著 ダイヤモンド社

 

「不確定性原理」 都筑卓司著 講談社ブルーバックス

http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=257385

(私が読んだ本とは、版が変わっているようです)

 

 

 

最後に、この記事が、今号で通算200号となりました。

この記事をお読みいただいている

皆様に感謝申し上げます。

 

今号でご紹介した2冊の本とはいかなくとも、

少しでもお役にたつこと、

刺激となることをご提供していければと

考えておりますので、これからも宜しくお願い申し上げます。

 

著者情報

知見寺 直樹

株式会社ジェイック 執行役員|上海杰意可邁伊茲企業管理咨詢有限公司 副董事長

知見寺 直樹

東北大学を卒業後、大手コンサルティング会社へ入社。その後、株式会社エフアンドエム副本部長、チャレンジャー・グレイ・クリスマス常務取締役等を経て、2009年ジェイック常務取締役に就任。総経理として上海法人(上海杰意可邁伊茲企業管理咨詢有限公司 )の立ち上げ等を経て、現在はHumanResourceおよび事業開発を担当する。

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