“優秀な社員”とは何か リーダートレーニングで価値観を逆転|株式会社イズミ・竹田氏

更新:2024/08/07

作成:2024/08/06

“優秀な社員”とは何かv2

竹田氏MV用

<目次>

入社当時にみた株式会社イズミの姿

私は創業者の山西義政会長(当時93歳)に請われて2016年1月に株式会社イズミへ入社。

 

執行役員として人事部や能力開発部を担当し、直近の3年は「イズミ大学」という次世代経営人材育成プログラムの立案・推進とグループ10社の人材育成、そのための研修プログラムの開発や体制づくりを行ってまいりました。

 

ご存じの通り、イズミは広島に本社を構える流通小売大手です。大型商業施設「ゆめタウン」やスーパーマーケット「ゆめマート」のほか、「ゆめモール」「ゆめテラス」「LECT」など、中国・四国・九州地方に特化して店舗ネットワークを広げています。

 

山西会長が戦後に裸一貫でスタートさせ、売上7,000億、営業利益350億円に至る会社へといかに築き上げたのかにも大きな関心がありました。

 

ただ正直、広島に行くまでイズミのことはほとんど知りませんでした。しかし、来てみればあらゆる場所で「ゆめタウン」があり、いかに地域に根差してここまで展開してきたのか、すぐに実感することになりました。

 

イズミの事業展開戦略は、例えれば、業界最大手のイオンが全国制覇を狙う戦国時代の徳川家康とするならば、イズミは地方豪族のようなものです。その中で、出店はイズミにとって城を築くようなものです。

 

「ゆめタウン」という城を続々出店し、ドミナント(地域集中)経営で大手に対抗していったのです。いかに早く的確な場所に展開するかに重点を置き、全国でイオンが地方豪族を傘下に収めている中で、数少ない「野武士のような勢力」として地域とともに発展してきました。

 

入社当時のイズミを見ると、勢いのすごさのようなものは感じましたが、決定的に欠けていたものが2つありました。1つはマネジメント教育で、管理者・マネージャーの育成が遅れていたこと、そしてもう1つはエンゲージメント教育に対する関心が低いことでした。

 

イズミは正社員約3,000人、パートを含めると約3万人の会社です。この規模になると一人ひとりのモチベーションが事業拡大のカギを握りますが、儲けにこだわりすぎている面が大きく、従業員は疲弊しており、会社の利益を出して喜び合えるような環境にはありませんでした。

 

人が辞めても「工数がなくなった」という考えになっており、そこにも大きな違和感がありました。マネジメントではなく、コントロールしているような状況だったのです。

 

人には誰しも感情がありますし、そんな状況では長く働き続けることは難しくなります。ベテラン社員を辞めさせてしまうのは、新人5人分に相当するほどのパワーダウンになります。

 

離職予防のため、マネジメント層には階層別でヒューマンスキルを向上させていくのが必要だと感じ、まず最初に創業者を含む役員向けに「エンゲージメント研修」を開催したことを皮切りに、全店舗(当時100店)の店長や次長など、現場における管理者教育に着手しました。

山西会長とデール・カーネギー

創業者の山西会長(1922-2020 97歳没)は宇品尋常高等小学校を卒業した後、貧しい家庭のため新聞配達とシジミやハマグリの行商で家計を支え、自分が稼いだ金で二重焼き(今川焼の広島での通名)を2つ買って食べることが最高の贅沢だったという苦労人です。

 

進学せずに働き続け、その後、太平洋戦争では当時世界最大級の潜水艦である伊400の乗船員となり、特攻にも入りましたが、何とか戦地から戻り、帰還後は広島の闇市の中で露店を始め、会社を立ち上げました。

 

そして数店舗を展開したころに大阪で大失敗してしまい、店を畳むことに。そのときは「死にたくなった」とポツリと話されていたことを思い出します。特攻にも行ったこんなに強い人が、と意外でしたが、死のうと飛び降りても地面につくまでは正気なことに怖くなって、踏みとどまったそうです。

 

そんな時にデール・カーネギーの「道は開ける」に出会い、その後の人生における座右の書になったということでした。「道は開ける」からの学びは、社員にも啓蒙し、入社式では新入社員全員に毎年書籍を配っています。

 

同じカーネギーの著書でも「人を動かす」は新入社員向けではなく、入社してストレスにどう対処するか悩んでいるだろうから「道は開ける」こそが、適書だと話されていました。

 

そんな背景があったので、私が日本人では数少ないデール・カーネギーのトレーナー資格を持っていることを伝えましたら、「いい人が入社してくれた」と喜んでいました。偶然の出会いであり、本当に、ご縁であったなと思い返します。

 

山西会長

イズミでのマネジメントトレーニング

イズミでは全店舗の管理職を中国、四国、九州の3地域に分けてリーダーシップ/コミュニケーションのトレーニングを実施し、徐々に浸透させていきました。

 

先述の通り、人には感情があって、従業員は工数だけで測れるようなものではありません。トレーニング受講を管理職には義務付け、受講してから職場で実践し、3カ月後の研修で体験を発表させるようなサイクルを築いていきました。

 

そして、イズミの研修でもう一つ特徴的なこと「イズミ大学」の存在です。「イズミ大学」は将来、経営を担える人材を社内から計画的・意図的に育成することを目的とし、CHROであった専務(現副社長)と二人三脚で作り上げました。

 

人的資本経営の要である次世代への経営の承継はイズミのみならず多くの企業の課題であり、実際、専務(現副社長)は銀行から、私はIT企業の出身でしたから、将来を考えれば、プロパー社員から役員に適した人材を育成・輩出することを仕組化することがイズミの重要な経営課題でした。

 

一方で会社が1兆円の売り上げを目指しているところ、山西会長は「みな1兆というが、自分の頭の中には1兆5,000億の絵図がもう出来ている。駒が足らん。」とおっしゃっていました。私はそれを聞いて、壮大な夢に驚くとともに、一方ではまずいなとも感じていました。

 

創業者に強烈すぎるカリスマ性があるがゆえに、会長の意向を早く実現し、それに応えることこそが「優秀な社員」であるという意識が浸透していたからです。

 

儲けばかりを追い求めていけば、顧客のことを無視する形になりかねません。当時の優秀の定義は、「上意下達で、迅速にやること」でした。全て会長の視点で、キーワードは会長への「忠誠心」であり、会長もそこに対して評価すると明言していたのです。

 

しかし、晩年は会長の判断も鈍くなることが多くなり、その体制もやがて終焉を迎えます。経営の最前線を退いた4年前に97歳で逝去されました。大きなパラダイムのチェンジです。

 

稀有な経営者であり、私が人生で出会った最も印象に残る方でしたが、会長の求心力が強かったからこそ、、残された私たちは新たに確実な「GO/STOP」の判断基準を作り上げなければなりませんでした。

 

そこで、まずは、指示を待つのではなく「自ら考え、自ら行動できる自立的な役員」をプロパーから出せるような人材育成、組織づくりを「イズミ大学」で目指すことになりました。

 

育成する人材は選抜型とし、2年間かけて行いました。優秀の定義もこれまでの「素早く判断し素早く実行」から、「今見えないかもしれないが、将来課題になることを読み解く」ことに変えました。シナリオ・プランニングです。

 

将来像の実現のためにまず何からやらなくてはいけないかをバックキャストして考えられるためのフレームワーク、組織編成力、アカウンティング/ファイナンスの力、組織文化変革など、理論を体系的に身に付けたうえで、自分の考えを「経営への提言」として表明して自ら変えていく「志(こころざし)」、そういう資質を備えたリーダーを選抜型で計画的に育成しようとの試みです。

社外に丸投げではなく、社内で育てる

リーダー育成にあたり、私はトレーナーの資格を生かしてリーダーシップやコミュニケーションは自身で教え、それ以外でも役員自らが登壇して教育を担当していくようにしました。

 

一年目はいわば「経営の定石」として必須となる理論面の基礎をしっかり学ぶ期間とし、グロービス社が提供するプログラムも取り入れ、二年目には他企業の経営人材候補たちとの流試合を組み入れるなど、実践的なプログラムに設計しました。

 

階層別の3コースとし、「執行役員コース」6名、「部長・支配人コース」17名、「課長・店長コース」25名を選抜し、第一期を2021年5月に開校させました。

 

選抜に際しては、「なぜ自分は選ばれなかったのか」などの声もありましたが、従来の「優秀の定義」を変えるという視点を貫きました。CHROである副社長の強い思いに加え、ブレることなく人選していくために、社内人材発掘の情報収集に注力し、多くの時間を割きました。

 

さらにはイズミ大学がスタートした以降も、本人の適性や職務との両立が厳しいなどの判断がなされた場合や本人からの申し出による途中入替えもありました。結果として、2024年の第二期卒業時点で52名の幹部候補を輩出し、本年度からの第3期が終わる2年後には卒業生は計画どおり100名となる見込みです。

 

2030年までのイズミの組織体制を考え、2030年までに100名の「次世代経営人材」の候補者が揃っていれば、当面の持続的成長は叶うだろうという目論見があるからです。

 

その先は、時の経営陣でさらに後世に向けたカリキュラム(イズミ大学第4期)などを組んでいただければ、プロパーによる経営人材が育つサイクルが整うことになるでしょう。手前味噌かもしれませんが、イズミ大学のシステムは各社リーダー育成の参考になるのではと思います。

 

そして、イズミ大学の特徴としては、卒業後の「配置転換」です。組織の壁を越えて全社視点での発想力と圧倒的な当事者意識を持ってもらうために必要な「修羅場」は現場での実践につきます。従業員が学び、配転育成することで8~9割を成功に結び付いています。

 

配転で個人が新たな可能性を見出し、本人もそれまで「この領域しかできない」と思っていたものから、「こんな力があったのか」と新たな可能性を発見する機会になっています。

 

また、従来は女性活躍推進のテーマの下、意図的に女性に店長を任せたり、女性を部長に昇進させたりするなど、とりあえずポジションにつけるような傾向がありましたが、本人の知・経験・覚悟の不足からミスマッチとなることもありました。

 

イズミ大学生に選抜し、他組織のメンバーと同じ釜の飯を食べる形で2年も共に学ぶと、受講者同士での部門間の距離が近くなり、ますます視野を広く持って新たなポジションに向かうことができるようになりました。今後そういうプロセスを通した計画的・意図的な女性管理職が続けば、今後の女性活躍推進の成功モデルにもなると期待します。

 

このように、ここ3~4年でイズミの「人的資本経営」の一部は進んできました。従来と同じ発想のリーダーでは、やはり会社は沈んでしまうかもしれません。優秀の定義を変えたように、自ら考え、自ら変えることが大事ですね。

 

日本では多くの変革が進みにくいといわれます。「変革」で失うものは見えやすく得られるものは見えにくいからだと言われます。

 

誰しも二の足を踏みがちな「変革」ですが、失うものよりも、いかに得られるものが多いかという気持ちを持たせることができるかがカギになります。そのためにはトップが常に理想を語り続ける「対話力」と「発信力」が大事であると思います。

 

リーダーの語る「希望」こそが、変革を進める力になると思います。

株式会社イズミ
グループ経営本部 参与 兼 イズミ大学 事務局長
竹田 裕彦氏 (役職はインタビュー時点)
国内自動車メーカーにて人事・労務・教育・法人営業を担当。その後、外資系ITサービス大手にて人事労務・採用責任者・グループ企業経営・支店長などを経験。55歳で、自身のキャリアを棚卸し、今後は経営や人材育成で貢献したいと考え、株式会社イズミに入社。執行役員人事部長、能力開発部長を歴任し、グループ経営本部 参与 兼 イズミ大学事務局長としてイズミグループ全体の幹部社員育成を中心となって推進。2024年4月より株式会社ジェイックに入社、現職に至る。日本人では数少ないデール・カーネギー・トレーニング公認トレーナーの資格を持ち、実務、戦略、両面において人材育成に精通している。

関連記事

  • HRドクターについて

    HRドクターについて 採用×教育チャンネル 【採用】と【社員教育】のお役立ち情報と情報を発信します。
  • 運営企業

  • 採用と社員教育のお役立ち資料

  • ジェイックの提供サービス

pagetop